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日本復活のダンディな立役者~白洲次郎から学ぶ
2014-11-29
戦後、日本復興の陰の立役者といわれる白洲次郎は、1902年兵庫県芦屋市に生まれました。
裕福で進取の精神に富む家に育った次郎は19歳で渡英。
ケンブリッジ大学の名門カレッジに入学し優秀な成績を収めます。
勉学以外に恋や趣味の車も楽しみ、英国紳士や真の国際人としての振る舞いを体得しました。
しかし、1927年の金融恐慌のあおりで父の経営する会社が倒産。
次郎は学問の道を諦めて帰国を余儀なくされます。
帰国の翌年に正子と結婚した次郎は、英国時代の人脈と語学力を生かし、企業人として活躍。
日米開戦後は日本の敗戦を予見し、1942年40歳で職を辞して東京郊外に農家を購入。
この頃から政治に関わるようになります。
当時、終戦に向けて秘密裏に活動していた近衛文麿のブレーンの一人となり、終戦後もその英語力と胆力が買われて重要な場面で交渉役を務めた次郎は、GHQを相手にひるまず自身の信念を貫き「従順ならざる唯一の日本人」といわれるほどでした。
日本国憲法の制定やサンフランシスコ講和条約にも功績を残した次郎ですが、中でも大きな働きだったのが通商産業省の創設です。
日本経済の立て直しは貿易にありと確信した次郎は、当時、汚職まみれだった貿易庁を解体し通産省創設に尽力したのでした。
権力になびかず正義とプリンシプル(原則)を貫いた、ダンディな生涯でした。
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