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水魚の交わり
2014-11-01
時は三国時代直前。
のちに蜀を率いることになる劉備は、その礎を築く知恵者・孔明を有名な「三顧の礼」で軍師として迎えます。
しかし、義兄弟の契りを交わして苦楽を共にしてきた関羽と張飛にとって、日ごと親密になる主君と孔明の関係は決して愉快なものではありません。
そんな二人に劉備は、「わたしにとって孔明の存在は、魚にとっての水のようなもの」、つまり「欠くことのできない朋友=水魚の交わり」だからこそ理解してほしいと諭しました。
その言に主君の思いを察した関羽と張飛は、不満を述べることもなくなったそうです。
さて歴史とは時に残酷なもので、物語はこれで終わってくれません。およそ20年を経て「水魚の交わり」の濃さを証明するような悲劇が孔明を襲います。
劉備の没後、宿敵・魏と繰り広げた街亭(がいてい)の戦いで、愛弟子・馬謖(ばしょく)の失策により孔明は敗北。
三国志ファンならご存知の通り、その責のため「泣いて馬謖を斬る」こととなりました。
孔明の涙の理由を正史『三国志』は愛弟子を想うがゆえと伝えていますが、かたや『三国志演義』では劉備に「馬謖を重用するな」と遺言されていたにも関わらず、それを軽んじた自らの不明を嘆くゆえと記しているのです。
真実は本人のみぞ知るですが、稀世の天才として名を馳せた孔明といえども、劉備なくしてはその才を発揮することかなわず・・・、「魚」を失って徐々によどみゆく「水」の深い悲しみが、その滴に宿ったであろうことは想像に難くありません。
ここで現代日本のビジネスシーンに目を転じれば、行き過ぎた成果主義・個人主義を今一度見直そうという動きになってきている様子です。
千数百年の昔、劉備や諸葛孔明ですら互いに使命を共有するパートナーの存在が欠かせなかったことを考えれば、それも無理のないことなのかもしれません。
「水魚の交わり」にしても、また「刎頸の交わり」にしても、人間関係の親密さを語る代名詞となっていますが、原典をひも解けばその意味するところはむしろ「欠くことのできない関係をしっかりと心に留め、共に事にあたることの重要性を説いている」とも読めるのではないでしょうか。
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