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良将は人を捨てず「山本勘助」から学ぶ
2014-06-30
群雄割拠する戦国時代、甲斐を治めた戦国武将・武田信玄の知恵袋として活躍し、小説『風林火山』などでも英雄として描かれている山本勘助。
その人生は多くの謎に包まれ、架空の人物ではないかと指摘があるほどです。
1493年、静岡県富士宮市に生まれたとされる勘助ですが、その出生地も愛知県内など諸説あります。
11歳で養子に出るも19歳で養家を去り武者修行の旅に出た勘助は、武芸に軍学、築城術と全国を歩き知見を広めていきました。
そんな勘助が武田家に仕えたのは50歳のとき。
片目と片足が不自由で風貌も醜かった勘助は仕官先に恵まれず、やっと才能を認められたのでした。
軍師の印象が強い勘助が実際に得意だったのは築城術といわれ、高遠城、小諸城、海津城などを手がけました。
城の仕組みをよく知っているからこそ、守りやすく攻められにくい場所も熟知していたようです。
勘助の兵法は派手で天才的な奇抜な策ではなく、基本と経験則を重んじた正攻法だったのかもしれません。
信玄の求めに応じてまとめた『山本百箇条』という若い武士へのアドバイス集には、「良将は人を捨てず」という言葉があります。
「人には得手不得手があり誰にも長所があるのだから、それぞれに合う仕事を任せ、各人を生かせる人物こそが名将である」という考えは、若き日の苦労から生まれたのかもしれません。
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