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元気でやれば何でも出来る~高橋是清から学ぶ
2014-05-06
世界恐慌から日本を救い、大正から昭和にかけて7度にわたって大蔵大臣を務め近代日本経済の礎となった高橋是清は、1854年江戸で生まれました。
御用絵師だった父と侍女の間の私生児だった是清は、仙台藩の足軽・高橋是忠の養子となります。
「これからは海外に目を向けるべき」という先見の明があった仙台藩幹部に見出され、是清は10歳から英語を学び13歳でアメリカに留学します。
留学中はだまされて奴隷として売られたり、帰国後も海外での銀山開発に失敗し多額の負債を背負うなど、苦労の多い人生を歩みます。
38歳のとき丁稚奉公からやり直す覚悟で就職した日本銀行で、是清の財政手腕が花開きます。
組織改革や独自の為替相場の導入などで成果を上げると日本銀行総裁の座に登りつめ、59歳でその実力を請われ大蔵大臣に就任。
政界へと活躍の場を移します。
世界恐慌の余波の中、犬養毅内閣の大蔵大臣として日本経済を建て直したのが77歳。
80歳で自身の教え子でもあった岡田啓介率いる内閣で人生最後の大蔵大臣となります。
辣腕財相として強い信念のもとに国家財政の破綻を避けて安定化を図ろうとした是清ですが、軍拡の機運の中、軍事費の抑制を強硬に主張し陸軍の反感を買ったことが引き金となり、二・二六事件で命を落とします。
困難から逃げず公平さと責任感を貫いた82年の生涯でした。
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