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和を以て貴しとなす「聖徳太子」から学ぶ
2014-04-04
大和朝廷成立後、その政治基盤の弱さに危機感を覚え、仏教をよりどころとした国家づくりを目指した聖人・聖徳太子は574年に生まれました。
厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれた出生にまつわる伝説をはじめ、神秘的な逸話が多く残っています。
当時の日本は各地で豪族が抗争を繰り広げており、6世紀中期には有力豪族である蘇我氏と物部氏の仏教を巡る対立が深刻化します。
朝廷で軍事や宗教を司る物部氏は神道を重視し仏教排斥に動き、財政担当大臣の蘇我氏は当時大陸の先進文化であった仏教信仰を推進し、天皇家とも密接な関係にありました。
太子18歳のとき物部氏を討伐した蘇我馬子が大臣方の最有力者となり、その後、推古天皇が即位します。
この際、太子は摂政の座に就き、冠位十二階や十七条憲法の制定、隋との外交など理想の国づくりに邁進します。
しかし、理想の高さゆえか共に政治の中枢にあった馬子に疎まれ、40代にして政界から遠ざかり48歳で没するまで仏教研究に身を捧げます。
十七条憲法の「和を以て貴しとなす」で始まる和を重んじる思想は、現代の私たちの心にも通じているようです。
仏教を中心としながら神道や儒教も否定しない太子の考えは、神も仏も同列に扱い宗教的な争いを好まず「いいとこ取り」できる日本人の気質や、今の日本という国の原型を作っているのかもしれません。
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