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江戸と明治の架け橋「徳川慶喜」から学ぶ
2014-03-05
長い徳川政権に幕を引いた徳川家15代将軍・徳川慶喜は、1837年に江戸小石川で生まれました。
父である9代水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)は、財政状況ひっ迫の中、画期的な人材登用や経費削減、農村復興などの改革に取り組み財政再建を果たしました。
その政治手腕は慶喜にも受け継がれます。
斉昭は慶喜の利発さと才能に注目。
父の期待を受けて厳しい躾けと手厚い教育を受けて育ちました。
黒船来航や安政の大獄、桜田門外の変と時代が動く中、25歳で将軍後見職に就任。
幕政改革を目指す慶喜は、参勤交代を緩和し「公武合体」の基本方針を示すなど多くの改革に挑みます。
そして29歳、長州征伐の失敗により幕府が危機的状況に陥ったとき慶喜は将軍の座に就きました。
大政奉還の10ヶ月前のことです。
大政奉還は弱体化した幕府の逃げの政策にも見えますが、実は慶喜の政治家としての壮大な構想があったと言われています。
将軍就任直後、慶喜はフランス公使に幕府改革のアドバイスを求め、三権分立や欧州の議院制度についても研究。
中央集権体制による新たな国家像を描いていたようです。
しかしそれは実現せず、慶喜は30代で隠遁生活に入ります。
新政府安定のために政治的発言や目立った行動を避け身を律した慶喜。
最後の将軍は日本近代化の道筋をつけ、国家の行く末を静かに見守っていたのです。
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