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2つの人生を生きる「伊能忠敬」から学ぶ

2014-02-11

実測で日本地図を作成し初めて正確な日本の姿を世界に伝えるきっかけを作った伊能忠敬は、1745年に千葉県九十九里町で生まれました。

生家の小関家は裕福な名家でしたが、母の死を契機に婿養子だった父は忠敬を残し実家に戻り、後に忠敬も引き取られます。

教養人だった父から読み書きを学び学業優秀だった忠敬は、17歳で佐原の大商家・伊能家の婿養子に入ります。

婿として婚家での人間関係に苦しみながらも事業家としての才能を発揮し、家業は隆盛を極めて佐原村の名主も務めました。

忠敬41歳のときに東日本一帯を襲った天明の大飢饉では、忠敬の機転と行動力により佐原村では一人の餓死者も出さずに乗り切ったのでした。

人生50年といわれたこの時代、忠敬は49歳で家督を長男に譲り隠居の身となります。

ここからが忠敬の第2の人生のスタートです。

勉学が好きで後世に名を残す仕事をしたいと願いながら養子となり、家業に邁進してきた忠敬が抱き続けた夢は、師匠である19歳年下の高橋至時に出会い天文暦学を学ぶことで実っていきます。

地図の印象が強い忠敬ですが、もとは「地球の大きさを測りたい」という壮大な夢が原動力でした。

測量を幕府に認めてもらう方便として地図の作成を上申します。

それがきっかけで10度に渡る過酷な全国の実測を経て、後世に名を残す偉業を成し遂げたのでした。



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