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反骨の知将「真田幸村」から学ぶ
2013-12-07
豊臣家に忠誠を尽くしその鮮やかな散り際で知られる真田幸村は、1567年に真田昌幸の次男として生まれました。
真田家は幸村の祖父・幸隆が武田信玄に仕え功績を上げて以降、武田家の有力家臣として重用されます。
その後、武田家が滅亡し真田家は織田家、北条家、上杉家、徳川家と主家を転々として家を守ります。
そのような状況のもと幸村は、忠誠や同盟の証として上杉家や豊臣家へ人質に出されて少年期を過ごします。
関ヶ原の戦いでは父と幸村は石田三成に、兄・信之は徳川家康につき、あえて一家を二分することで真田家の断絶を避けようとします。
結果、敗れた父と幸村は高野山麓に流され、蟄居(ちっきょ)を命ぜられるのでした。
13年後、幸村が47歳で再び世に出たのが大坂冬の陣。
徳川政権の安定のために豊臣家を滅ぼしたい家康は、20万の兵で大坂城を取り囲みます。
迎える豊臣勢は幸村を含む諸国から集められた浪人たち10万。
幸村は父ゆずりの知的な戦略や人質時代に学んだ上杉家や豊臣家の戦法を駆使して大軍を迎え撃ち、家康に死を覚悟させるほどに追い詰めます。
しかし、家康の謀略により形勢不利に。
高額な恩賞で徳川家に寝返りを促されるも頑として跳ね除け、大坂夏の陣で48歳の生涯を終えました。
強大な権力に立ち向かう不器用ともいえる生き様は、今も民衆の英雄として語り継がれています。
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