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平時の治世者「伊達政宗」から学ぶ
2013-11-26
最後の戦国武将と呼ばれ、独眼竜の呼び名で奥州に君臨した伊達政宗は1567年、米沢城に生まれました。
幼い頃に天然痘で右目を失明。隻眼というコンプレックスに加え、失明によって母の愛情が自分から弟へと移ってしまい、心にも大きな傷を負います。
少年時代の政宗を変えたのは、人生の師ともなる二人の守役。
政宗は彼らから治世者としての振る舞いや仕草、漢学や兵法などを学び、後に知将と呼ばれる基礎を作ります。
22歳の若さで奥州南部をほぼ平定し豊臣秀吉や徳川家康が台頭する中、天下統一や海外進出を目論んで機知に富んだ行動に出て世間の耳目を集めます。
朝鮮出兵の際、秀吉にアピールしようと豪華絢爛な軍装で出陣し、秀吉はもちろん洛中の人々からも「伊達者」の喝采を浴びた逸話は有名です。
一方、政宗は家康が天下人となり自分の天下取りの夢がついえたことを悟ると、伊達家存続のために徳川家につくという先見の明も持っていました。
家康に続き将軍となった秀忠、家光の信望も厚く、将軍の御意見番として盤石の地位を築いた政宗。
外様大名としては異例の62万石の大藩となり、仙台藩は徳川260年間の安泰を守りました。
的確に世の流れを読み綿密な計算のもとに為政者と渡り合った政宗は同時に、現在の仙台の街の基礎ともなっている町割や治水、稲作も行ない治世者としても優れた人物でした。
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