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義を貫いた悲運のリーダー「大石内蔵助」から学ぶ
2013-09-13
「赤穂浪士」で知られる大石内蔵助は1659年、赤穂藩の筆頭家老の家に生まれました。
18歳で家督を継ぎ浅野内匠頭の筆頭家老となります。
良妻賢母の妻との間に3人の子をもうけ、仕事に打ち込みながら平穏な日々を過ごしていました。
小柄でふっくらとした体型の内蔵助は性格もおっとりしていたようで、その風貌と雰囲気から「昼行灯(ひるあんどん)」とあだ名されていました。
主君である浅野内匠頭も、どこかつかみどころのない内蔵助を疎(うと)んじていたとも言われています。
そんな内蔵助の人生を激変させたのが、江戸城内松之廊下で起きた刃傷事件。
原因は定かではありませんが、浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけ浅野は即日切腹。
藩は赤穂城の明け渡しを命じられます。
このとき内蔵助は開城のための処理を迅速に行ない民衆の混乱も防ぎ、他の藩からもその手腕を高く評価されました。
仇討ちを急ぐ堀部安兵衛らを抑えながらお家再興を願った内蔵助でしたが、その夢はかなわず討入り決行という苦渋の決断に至りました。
討入り後、家族に累が及ばぬよう事前に離縁し、藩に残った財産を大切に使いつつ周到に準備を進めます。
時に浪士たちの揺れる心のケアもするという緻密さあって討入りは成功し、四十七士は歴史に名を残しました。
内蔵助のリーダーシップに注目してドラマ『忠臣蔵』を観るのも一興ですね。
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