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冷静に国益を見据えた多才人「平賀源内」から学ぶ
2013-08-31
日本初の電気を起こした発明家であり、今も続く「土用の丑の日」の風習を作り出したアイデアマンとして知られる平賀源内は、1728年に現在の香川県さぬき市に生まれました。
高松藩の下級武士で農業も営む比較的裕福な家で育った源内は、幼い頃から俳諧をたしなみ、儒学や本草学(中国古来の植物を中心とした薬物学)も熱心に学びました。
24歳でその知識を買われ長崎へ遊学に出ます。鎖国状態だった当時の日本で長崎は、数少ない海外へ開かれた貿易港。
源内は長崎で様々な異国の文化に触れ、世界へ目を向けるようになります。
同時に、身につけた知識を日本の中心である江戸で活かしたいと熱望し、藩の仕事を辞して江戸へと向かいました。
その後、源内は日本初の物産展ともいえる「薬品会(やくひんえ)」をプロデュースしたり、蘭学の研究に私財をつぎ込んだりと多芸多才ぶりを発揮します。
博物学、発明、絵画、文学、鉱山開発とその才能はまさにマルチ。そんな源内の活動を支えたのは、旺盛な好奇心と行動力に加え「国益」を求める信念でした。
中国やオランダからの輸入で国内の金銀が流出することを憂えた源内は、毛織物や陶器などの自給や輸出を目論んでいたのです。
鎖国下でありながら海外を意識し、国益の重要性を説いた源内。
異才の自由人という印象とは別に冷静な先見の明も持っていました。
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