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臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
2017-05-31
中国春秋末期「呉越の戦い」から生まれた故事成語をご紹介します。
「臥薪嘗胆」という言葉は、すでにご存じの方も多いのではないでしょうか。
国語の教科書にも掲載されていますし、またやや古い話になりますが日清戦争後、露・仏・独によって行われた三国干渉に対して「いつか見返してみせる」という意を含んだ国家的スローガンともなりました。
「目的を達成するために“忍耐”せよ」という教えは、もしかすると世界のどの国よりも、日本で好まれる傾向にあるのかもしれません。
ところがいざ故事をひも解いてみると、単なる「忍耐」のススメだけで物語は終わらないのです。
紀元前6~5世紀、呉国と越国は激しい争いを繰り広げていました。
呉王闔閭(こうりょ)は越の武将から受けた矢疵がもとで、息子夫差(ふさ)に復讐を託して世を去ります。
そして夫差は毎夜、薪の上に寝て(=臥薪)その痛みで屈辱を忘れないようにし、ほどなくして父の仇を取るのでした。
興味深いのはここからです。
滅亡寸前にまで追い込まれた越の王勾践(こうせん)は、苦い肝を毎日舐めて(=嘗胆)雪辱を誓い、あの手この手で呉の再攻略を狙います。
なかでも出色なのが色仕掛け。
中国四大美女に数えられる西施(せいし)を呉王夫差に献上し、骨抜きにして大逆転!
越国は呉国を滅ぼしてしまったのでした。
呉王夫差は「臥薪」までして、父王の最期の願いを叶えるところまでいったというのに、その後「嘗胆」しながら戦略を練った敵に敗れ、しかもハニートラップにまで掛かっていたのです。
「臥薪嘗胆」はわずか4文字ですが、「臥薪」から「嘗胆」、さらに結末へと至る歴史は「忍耐」礼賛よりむしろ「驕れる者久しからず」、あるいは「勝って兜の緒を締めよ」という教訓を示しているようにはみえないでしょうか。
前回の「三省」にしても「臥薪嘗胆」にしても、激動の世にあって常に己を律する大切さがより際立ちます。
私たちも日々変化するビジネスシーンで目標を達成した時、順風の時こそ改めて「臥薪嘗胆」の故事を噛み締めたいものです。
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