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夫婦二人三脚で立身出世「山内一豊」から学ぶ
2016-09-04
信長、秀吉、家康に仕えて戦国の乱世を生き抜いた山内一豊は1545年、尾張(愛知県西部)に生まれました(出自については異説あり)。
父は岩倉織田家の家老でしたが、尾張の覇権をめぐり清州・岩倉の両織田家は抗争の最中。
信長の攻撃で岩倉織田家は壊滅状態となり、幼い一豊は父と兄と主君を失います。
家族を支えるために士官の先を求めて尾張から近江に至るまで諸国を放浪した末に信長に登用され、22歳の頃には信長の命で秀吉に仕えるようになります。
内助の功で知られる妻・千代とは25歳頃に結婚し、その後、近江の唐国に400石を与えられ初めて領主となります。とはいえ、この頃の家計は火の車でした。
それは、いつか功名をあげるためにと無理をしながら多くの家臣を抱ていたことと、情に厚いゆえ頼ってきた者を断れず召し抱えていたためといわれています。
あまりの資金不足に出陣を断念しかけることもあり、そんなときは千代がへそくりを出して急場をしのいでいたようです。
時は流れて主君・秀吉が没すると、機敏に流れを読み家康側につきます。
さらに千代の機転も手伝って、天下分け目の戦を勝ち抜きます。
実の娘の死後も側室を迎えることなく千代を大切にした一豊は、家康の信頼も厚く土佐20万石の大封を得ます。
「一国一城の主に」という夫婦の夢を実現したのは、夫婦の深い絆でした。
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