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領民を守った名君~「上杉鷹山」から学ぶ

2016-07-31

破綻寸前にあった米沢藩を救った上杉鷹山(ようざん)は1751年、高鍋藩主・秋月種美(あきづきたねみつ)の次男として生まれました。

鷹山の祖母が親戚関係にあったことから上杉家の養子となり、若くして第9代米沢藩主となります。

この頃の米沢藩は、収入が減るものの支出はそのままで財政は火の車。

藩主となった鷹山は倹約令を出し、古くからいる家臣の猛反発にあいながらも改革を断行します。

自身も普段着は木綿のみ、食事は一汁一菜と自ら率先して質素倹約に励みました。

時に非情なリストラを行いますが、身分や過去にこだわらず部下の能力を見抜き登用する人材活用術は、現代のビジネスマンにも支持されています。

さらに鷹山を名君たらしめるのは将来を見据えた人材育成や産業振興、そして領民の命を守るためのリスク管理にもありました。

藩の財政が苦しい中でも藩校・興譲館には惜しみなく人や資金を注ぎ、将来を担う人材を育成します。

また産業振興に励み米沢織などの名産品を生み出しました。

そして災害対策にも力を注ぎます。

飢饉の際の食糧確保や非常食についてまとめた手引書を刊行し、天保の大飢饉では1人の餓死者も出しませんでした。

米沢藩と民を守ることに心血を注いだ鷹山の改革は、死の翌年に結実。

改革に着手してから50余年の歳月をかけて、米沢藩の借金は完済されたのです。



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