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百万一心「毛利元就」から学ぶ
2015-11-01
戦国武将として中国地方を手中にし、後の長州藩の祖となった毛利元就は1497年、安芸国(広島県安芸高田市)に生まれました。
毛利家は古くから一帯を支配する豪族でしたが、応仁の乱の余波で起こった守護大名大内家と対立する細川家の紛争に巻き込まれ、元就は幼くして生まれた城を去ることになります。
その後、実母と実父が相次いで死去、さらには後見人だった家老に領地を奪われ城から追い出されるという苦難の幼少期を過ごします。
毛利家の家督を継いだ兄が死去、さらにその跡を継いだ甥も亡くなり、元就は27歳にして毛利家の当主となります。
手狭となっていた城の拡張工事に着手した際、ある一部分の石垣だけが何度組み上げても崩れてしまうという事態に。
霊的な影響があるのではと人柱を立てる話が持ち上がりますが、元就は人命が犠牲になるのをよしとせず、代わりに「百万一心」という文字を石に刻ませたといいます。
この言葉には、「万民が心をひとつにしなければ天下泰平の世は訪れない」という願いを込めたと同時に、百と万の字を少し変えて「一日一力一心」と刻ませ、「皆が心をひとつにし日々、力を合わせればどんなことでも達成できる」という意味でもあったそうです。
有名な「三矢の訓」に並ぶこの逸話には、知略と謙虚さを兼ね備え、家中の結束を重んじた元就の人柄が表れています。
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