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領国経営に長けたプリンス「今川義元」から学ぶ
2015-06-13
桶狭間の戦いで知られる今川義元は1519年駿河に生まれました。
今川家は足利家につながる名家で、父・氏親は有力な守護大名でした。
実母は公家出身という血筋の良さで、雅な京文化に親しみながら少年期を過ごします。
当主の五男という家督相続からは離れた立場にあったため領内の寺院に預けられ、学業と僧になる修行に励んでいました。
しかし17歳の頃に転機が訪れます。
今川家当主であった長兄が早逝しお家騒動が勃発します。
跡継ぎ候補に残ったのは三男と五男。
実母の身分が高い五男の義元が家督を継ぐことになるも三男が反乱を起こします。
義元はこれを討ち正式に今川家当主となりました。
その後の義元は領地・領民・商業を掌握し、遠江、三河、東尾張と勢力を拡大。
武田家、北条家とも同盟を結びその勢力を盤石にします。
この義元の成功を支えたのが、父が定めた領地統治のための家法『今川仮名目録』と、幼少からの師である僧・太原雪斎の存在でした。
父が定めた家法を時代に即して改訂したことは、守護大名を完全に脱して戦国大名への転身に成功したことの象徴ともいわれています。
一方では、義元の活躍は雪斎の名参謀ぶりによるものとの指摘もあります。
実際に雪斎の没後わずか5年目に桶狭間の戦いで義元は敗死しました。
名家の隆盛と没落の構図は、現代にも通じるものがあるようです。
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