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決意と決断の人「井伊直弼」から学ぶ
2015-04-14
江戸幕政の大老・井伊直弼は1815年に滋賀県の彦根で生まれました。
井伊家の初代は徳川家康の天下統一に大きく貢献しました。
そのため徳川四天王に数えられ、直弼の父である直中も名君と呼ばれていました。
その名家の十四男として生まれた直弼は、父の寵愛(ちょうあい)を受けて育ちましたが、16歳で父が没すると状況は一変しました。
井伊家では跡継ぎ以外の子は他家を継ぐか、家臣に養われるかが常でした。
しかし、直弼はどちらにも居場所を得られず「埋木舎(うもれぎのや)」と自ら名付けた屋敷に籠もり、世に出ることなく朽ち果てる覚悟で茶道や禅学の修養に専念するのでした。
ところが30代のときに彦根藩の世継ぎだった兄が急逝し、唯一家に残っていた直弼に彦根藩主の座が巡ってきたのです。
このとき直弼は、もはや出世することはないと思っていた自分の運命に驚きながらも善政を行なうことを誓ったといいます。
江戸に詰めるようになり次第にその手腕を認められるようになった頃、ペリーが浦賀に来航します。
直弼は米国の要求を拒絶して戦になったら勝ち目はないと判断し、日米修好通商条約調印の決断に至ります。
安政の大獄についても評価が分かれますが、命を賭して国難に向き合い、大きな決断を下した責任を一身に背負って桜田門外に散った45年間の人生に今また注目が集まっています。
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