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信用第一の「いごっそう」~岩崎弥太郎から学ぶ

2015-02-25

三菱財閥の礎を築いた岩崎弥太郎は、1835年に現在の高知県安芸市で生まれました。

武家だった生家は祖父の代で凋落し裕福とはいえない状況でした。

母の才覚で学問の道に進んだ弥太郎は、藩校で褒賞を授かるほど才能を開花させました。

詩作に秀で、『三国志』や『史記』にも親しみました。

弥太郎は劉邦(りゅうほう)を目標の人物としていたといわれ、自身も能力のある人材を適材適所に登用し、経営基盤の強化に成功しています。

20代には多くの幕末志士を輩出した土佐藩で頭角を現すと藩の海運事業を一手に任されます。

ここで手腕を振るって大政奉還を機に武士から商人へと転身します。

海運事業からスタートした三菱は、終生の好敵手であった渋沢栄一が率いるライバル会社や、アメリカ、イギリスの海運大手と厳しい商戦を繰り広げます。

台湾出兵では政府の要請で軍事輸送を引き受けて国家公益のために尽力。

しかし、政変をきっかけに政府の風向きが逆風となり、ライバル会社の厳しい攻勢を受けます。

折悪しく病に倒れ、再度の隆盛を願いながら50歳で永眠しました。信条は「信用第一」。

公私混同を嫌い、武士のプライドを捨て、商人に徹して信用を守り抜くその姿勢は後継者たちにも引き継がれました。

ちなみに「いごっそう」とは、土佐弁で「快男児」「頑固で気骨のある男」などを意味します。



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